2019/01/04

始まりは感じること by 山西哲郎

  一年の始まりも、その日の始まりも頬に触れるひと吹きの風で新たになる―

 季節は自然の生命の新たな節目が訪れてことを私たちに伝えてくれます。それらを文字で表せば、光の春、万物が解放する夏、多色の秋、そして、素朴な冬。これらは私の内なる自然とそれに対応する外なる自然で感じ生まれた言葉です。

 新しき年。しかし、枯れた草地が広がりと裸の木々が並ぶ風景は何と殺風景でしょうか。春の生命が生まれ輝く時ではないこのような季節に、古人の人たちはなぜ、新年を迎えるようとしたのかと、現代の私たちには不思議に思えてくるのです。

 しかし、まだ、太陽が顔を出さない紅く締まる東の空に魅せられ走り始めると、厳寒の大気に襲われ、眠っていた全身の感覚は一気に刺激を受け、目覚め、寒さを感じるというよりは「生きている」という言葉が生まれではありませんか。

 ルソーは、まだ未熟で経験も力もない子どもたちはまず感覚の鍛錬から始めるべきだと説き、彼らは感じやすい時であり、それによって豊かな体と心に育むことになることを示したかったのでしょう。『沈黙の春』の著者で環境の汚染と破壊を訴えたレイチェル・カーソンは子どもの感性の豊かさを「SENSE OF WONDER」という言葉で、「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と表現をしました。

 年の始まりもその日の始まりも外なる自然を我が自然である五感で感じるときで、それも良く正しく感じるために身体を躍動させていくのが最も効果的。やっと目覚めたばかりの枯野の大地の上で、ストレッチによって筋肉を伸ばし、深い呼吸で体の中に新しい気を入ながらゆっくりと体を揺さぶり歩き走れば私のすべての感覚がつながり、心が自由になってくるのです。そして、朝陽を浴びれば、そこには今日という新しさが私のなかに生まれてくるではありませんか。

 知ることよりも、まず感じることから、健康つくりの道が始まってくる。




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