季節がゆっくり動き始める。陽光は淡い輝き、風には冷たさを感ず。広がる大地の緑はしだいにあざやかな多色の変わり、やがて色は落ち、曇天の下、一面すっきりとした裸の風景となる。だが、過ぎ去るこの夏も秋は、自然は猛暑、多雨、激風、そして噴火と激しく暴れ、その傷跡からいまだに回復をせず。
季節のゆっくりとした変化と激しい変化の自然の有り様から自然の一員であるわれらの身体にも、同じような現象を見ることができます。身体は自分を見失うような激しいほどの運動やスポーツ活動では痛みと疲労が伴い、自らの力では元になかなか戻すことができず病の域に陥ってしまうことすらあります。しかし、ゆっくりとした動きは自らの体の筋肉や呼吸と語り、周りの風景と触れ心地よさを感じるほどのゆっくり強度の軽い運動では、いつしかその季節にふさわしい体になったと思えるようになるものです。それは体ばかりか、心がその季節を味わうゆとりができ、そこから、体の言葉が創られてきます。
ルソーは『孤独者な散歩者の夢想』で「人生には心の平和が必要であり、それには均一でほどほどの運動が必要であり、強すぎては、夢想の魅力を毀(こわ)してしまう」と語り
自然の力で健康を取り返そうとしたのです。
ところで、「疲れるから」といって運動をしない人がいます。もし運動によって疲労が生じなければ、疲労から元の状態に戻そうとする力が湧かず、そのままでは筋肉も呼吸循環もしだいに衰えてしまう。だから、生きるには、運動で生じた疲労を回復させようとする力が必要なのです。これが自然治癒力であり、黄金の休息といえるほどの時間を持つことができるのです。
ゆっくり走る。息切れをせず、体全体はリズム感を持つ音楽家になり、目は周りの草花の美しさに魅せられ、頭の中を過る思いは楽しいけれど生理的には徐々に疲労が生じる。そこで、走ったという達成感に満足して、消耗したエネルギーを食事でとり戻し、疲れた筋肉を休め、音楽や読書で心を癒す。翌朝には昨夜より、新鮮さを感じる身体となればいい。
冬隣り。寒さがわれらを包む前に、ゆっくりと動きながら、しだいに冬を友としていきたいものです。
朝寒や白粥(かゆ)うまき病み上がり 草城
麻寒やゆっくり走り暖の人 哲郎
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