2015/12/21

季節の走り by 山西哲郎

  2015年 師走

 時は流れ、季節は移り、走者の走る感覚も日々変わり、今年はあとわずか。

「走ると生きていることを感じるな。不安なことが自分からも、他からも出てくるが、走っているときだけがほんの少しでも、今日も、しっかり過ごしてみようかと希望が湧いてきましたね」

このような言葉が、大地の走者から聞こえてきます。


雑誌「ランニングの世界」は創刊から、年に2回発刊して10年、20冊が世に出ました。

編集委員が、「今回は走ることの何を主張しようか、皆に何を書いてもらおうか」と多くの方に執筆をお願いして作り、出来立ての書物を、まだ見ぬ恋人のような人たちに向かって送り出す。

この愛する書を、無数の走る人たちに、いや走らない人でも手に取って読んでもらうことは、心躍ることであると同時に、これを通してお話をして、一緒に走ってみたいと常に思ってきました。そして、これからもそう思っていきたいのです。


走ることは生きること。生きることは走ること。

もうわずかの日々に、新しき年の希望と力を見出そうと、「新しい朝が来た」と路上の人となって走ります。

冬の何もない枯れた道こそ精神の走る世界なり


大地の暖かさ by 山西哲郎

 陽光で春の始まりを感じ、風のなかに暖かさを見つける春。そして、草地や砂地を歩み足からしっかり春を知る私たち。

少年の頃、自宅に近い鳥取砂丘の雪が消え、湿った砂がしだいに乾き始めると、僕は友達と一緒に素足になって走りました。でも、砂はまだ冷たく、つま先立ちで歩いていると「おーい、ここは温かいぞ」と、友の声。光をいっぱい浴びている砂地は足裏の温覚を目覚めさせ、「春が来たぞ」と足の声。10本の指は砂をしっかり掴むようにのびやかに広がり、砂が触れる土踏まずも伸びて、次第に足から脚の筋肉へと力が伝わり、砂丘をどんどん走ることができました。


今朝、春の陽射しを浴びながら歩き走って体が暖まり、まだ枯れた芝草地を見つけると子供の頃を思い出し、早速、素足になると芝生がホカホカと暖かく足を包み込みます。


日本が初めてオリンピックに参加したのは1912年のストックホルム大会。まだ、スポーツが国際的レベルに達していないときでしたが、陸上競技の短距離に三島弥彦、マラソンに金栗四三の2名だけが選手として出場しましたが、マラソンのレベルは世界に引け取らないほどでした。しかし、金栗選手は大会では暑さのために意識もうろうとなって自分の走りができず途中棄権をしてしまいました。でも、帰国後、金栗さんはマラソンレースで驚異的な世界記録を出すと同時に、多くのランナーに呼びかけて、日本の初めての駅伝競走である遷都50周年東海道五十三次駅伝競走をはじめ、各地で駅伝や日光から東京までの130㎞の長距離走や富士登山競走など、次々と大会を開催できたのは、当時からランニングにふさわしい脚力をもった風土や生活スタイルであったことがうかがわれます。


日本は山が多く起伏に富んだ土の道を草履や草鞋、足袋、下駄といった素足かそれに近い履物で日々良く歩く生活でした。特に子どもたちは素足でよく遊んでいました。それが長距離走を走るに適した資質を創ってくれたから、今でもマラソン大好きな人たちが多いのです。現在、なぜケニアやエチオピアのマラソンが強いかを調べてみれば、遺伝的な面よりむしろ、学校に10km以上の道のりを素足で歩き走り通う生活から生じていることが判り、昔の足腰の強いかつての日本人によく似ています。


ならば、この春、柔らかい草地の道を少し底の薄いシューズを履き歩き、芝地や砂地でもあれば素足となってゆっくり走れば春が自然の生き物を再生するようにわれらも足から元気復活を与えられると感じてきます。


足は第二の心臓なり。