私の一日は朝焼けから始まります。山の向こうからの真っ赤な色彩は、強く美しい刺激となって瞳から体の全てに伝わり、肌にあたる陽光の暖かさは体の中から目覚める力を湧き出させます。すると「春が来た」という言葉が、藤村の詩と重なって心に浮かびました。
春は来ぬ 春は来ぬ 霞よ雲よ 動(ゆる)ぎいで
氷れる空をあたためよ
花の香 おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ (藤村)
すると、歩きたくなってきました。冷たい風に頬を触れられながら、柔らかい枯れ草の道をゆっくり一歩一歩踏みしめ、脚と腕の筋肉を動かし続けると体全体が暖かく感じてきます。暖房器具での暖かさとは違った自ら創った暖かさは、私の春を創った気分。その快適さから、さらに力が湧いてきて走りたくなってきました。
この視覚と触覚、筋覚の目覚めは1日の正しい日内リズムとなって、冬眠からも目覚め活動的な生活に変わってくることがわかります。それが春を感じる感覚が甦った体からの証明。
体重や体脂肪の厚さを測りその数字から「これではだめだ」と落胆して、後ろ向きの心となっていないで、まずは体の中の心地よい感覚を求めなくてはなりません。
そこで、藤村の詩の「おくる春風」で眠れる山、眠れるあなたよ、目覚めなさい・・ということになるのです。筋肉を動かし、呼吸をはずませ、血液の流れを早くして脳を活性化して、体いっぱいで風になる。
しかし、春眠暁を覚えず。
たとえ、「光の季節」がやってきたと私が語ろうとも、眠る方が幸せという声があちこち聞こえてきます。そこで「あの赤く染まる東の空の色を見せてあげたい」とおせっかいの私が朝起きる策を与えましょう。
東側の窓のカーテンを開けておく。鳥の声がきこえるように・・目覚ましの機械的な音ではなくヴィバルディの「四季」の曲を流せば、出足の軽快なメロディで聴覚も心地よし。ベッドの上で手足を伸ばし背伸びをすれば筋肉から脳へと目覚めの信号が伝わり、ゆっくりと口から息を吐き出す深呼吸で、閉ざされ詰まっていた呼吸の道が通じて、心の窓が開いていく。そうすれば、「寝てはおれない。私の自然と、外の自然を一緒にさせて動きたい」という体の声が聞こえてくるのではありませんか。
人類の進化の歴史は運動によって快適さを自らで感じることで知恵を働かせ生活の技法を身につけてきたと言われています。
春隣りの朝は厳しかった冬を乗り越え、元気さを取り戻させてくれる健康の道のスタートなり。
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