春。まぶしくなった光を浴び、暖かい風に押され走ると、背中に汗をかくほどになってくる。枯れた大地には一足早くツクシやフキノトウが顔を出し、色々な雑草の花が咲いてき、「小さくて可愛くて、美しい」と感じ,走るスピードは下がってくる。走れば、自然を一杯に感じて詩人にも、絵かきにも、音楽家になれるのだと、春は一段と思えてくる。
でも、いくら走っても、空を見上げれば、「がらんとした暗いみぞれのそらがひらいてゐる」という、宮沢賢治の詩が浮かぶ。「ああいま前に展(ひら)く暗いものは まさしく早春の北上の平野である」(五輪峠)この3月の大災害は春の訪れがあまりにやさしく、あたたかく、うつくしく感じられ、悲しみも辛さもとても消えることはないのである。だから、ただひたすら走りながら、亡くなった命に次の世こそ幸せでいて下さいと思うしかない。
マラソン大会は次々と中止になり、普段の風景のなかのランナーも減っているように思えてくる。しかし、大会のためだけに走っているのではなく、心に問いかけ、体の心地よさを感じて春の季節の生き物になっていこうとすることができるのだ。今こそ、自らで走り、いつの日か天地が落ち着き、被災の方々の生活が戻ってきたならば、また一緒に大会に参加をして創ろうではないかと思いたくなってくる。
我ら「ランニング世界の友の会」はランニンングの広がり、つながりを求めた仲間の集まりであり、春こそ新しい走りと走友を求めたい。